miku's diary

4歳長男と2歳双子のワーママの日常

世界早産児デー

今日11月17日は世界早産児デーです。

 

朝からX(旧twitter)で早産で産まれた赤ちゃん達が逞しく成長していく姿を拝見してとても元気をもらいました。

 

親としては心配が絶えず、肺が未熟な状態で産まれてきた我が子達を保育園に入れることもとても悩みました。でもすくすく成長している姿に大人も頑張らなくてはなといつも励まされます。

 

通常の母子手帳の成長曲線ですと1㎏から始まっており、早産児の子供達には記録できないことも多くあります。そこで作られたリトルベビーハンドブックも多くの自治体で広がっていると伺ってとても嬉しく思っています。東京都でももっと認知されるといいなと願っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

母乳バンクのこと

母乳バンクの存在を1人でも多くの方に知って頂きたくて綴ってみます。

母乳バンク昭和大学の水野先生が理事長を務める組織です。

 

早産で小さく産まれた赤ちゃんはまだ粉ミルクの消化が難しく、母乳を必要としています。

 

でも、早産で出産したママはまだ体が整っていない状態なので母乳の分泌が上手くいかないことも多いのです。

 

その時に母乳バンクの存在が赤ちゃんの命を救ってくれます🍼

5000人の赤ちゃんが母乳を必要としているそうです。

 

母乳の分泌が多すぎて搾乳して捨ててしまっているというお母さまもいらっしゃるのではないでしょうか。処分してしまっている母乳で救われる命があります。

 

どうかまわりにそのような方がいましたらお声かけ頂きたいと思います。

懸命に生きようと頑張っている小さな赤ちゃん達に母乳が行き届きますようにと願っています。

 

 

 

 

一般財団法人日本財団母乳バンク

 

 

 

 

 

 

 

 

 

双子の退院

双子は退院前に脳のMRI検査を受けることが決まっていました。

その際に鎮静剤を投与するためその同意書を書いたりもしました。

結果を聞きに行くのは人生で一番かもしれないという程緊張しました。

 

夫は仕事を理由に結果を一緒に聞きに行くのを拒んだのですが、自分の子供なのだからきちんと向き合うべき!と私が強制的に引っ張って連れて行きました😡笑

 

結果は2人とも大きな異常はないものの、ほんのわずかな出血が認められたとのことでした。ただ、出血の範囲はごく小さいので将来手足に麻痺が残る可能性も否定は出来ないけれど、大きな影響が出る可能性は低いとのことでした。

 

先生のお話では、大人の脳内出血とは違って赤ちゃんは成長の能力がすさまじいのであまり心配し過ぎずに見守ってほしいとのこと。子宮内の環境が良くない場合や胎児に問題がある場合などもあり、「少しでも長くお腹で育てるべき」という従来の考え方は海外の論文などでも否定されてきている。ネットで調べると障害や後遺症のリスクなどネガティブなことばかり書いてあるけれど、どうか早く産んだことを責めないで欲しいと励まして下さいました。

 

早産児は小学校に入学後に問題が生じることもあるので、9歳くらいまでは病院でフォローしてくださるとのこと。退院当初は月に1回、その後は3か月に1回受診することになりました。

 

退院前に母子同室入院の希望を聞かれたので、「ぜひお願いします!!」と即答して2泊3日の日程で双子と病室で一緒に過ごすことになりました。

出産の時と同じ個室でお世話になった助産師がミルクをお世話のサポートをして下さりました。「お母さん、朝まで眠れることはもう何年も先になりますね~」と脅されました😱😱😱

 

最初に姉、2週間後に弟の退院が決まりました🎉

まだ弟は呼吸が安定しておらず、ミルクをあげる時も飲むことに夢中になるあまり呼吸を止めてしまうことも多くとても神経を使いました。

 

退院後も気を付けてあげて下さいねと言われたのですが、どうやって気を付ければいいの~😭と怖くて仕方なかったです。具体的な対策としては、こまめに息継ぎをさせてあげる、唇の色が紫になったりしていないかをよく観察することだそうです。コツをつかむまではなかなか大変でした。

 

↓姉Mの退院の日。母の友人が素晴らしい花束を下さいました💐

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↓姉より2週間遅れだった弟Rの退院

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乳幼児突然死症候群の発症率も早産児では正期産の子よりも高いと聞いていたので、寝ている間も心配で夜中に何度も息をしているか確認していました。

 

姉はミルクをとてもよく嘔吐してしまう子で、ミルクを飲ませてもすぐにゲボっと噴水のように吐き出してしまうので本当にきちんと栄養が取れているのかと悩みました。

多いときは20回くらい吐いてしまって1日に何度も何度も着替えさせていました。

あまりに回数が多いので退院後に胃腸のエコーを撮って頂きましたが、異常は見られず、成長とともに噴門が閉じてくれば減ってくるだろうと診断されました。

結果、その通りになりました。

 

双子の退院後2か月程は私の実家に帰省し、母を二人がかりで夜中の授乳やおむつ替えをしていました。高齢の母にはいまだに負担をかけて申し訳ない気持ちでいますが、歳とってもやることが多くて生きがいになるわ~と快く助けてくれて感謝しかありません。私も将来孫が出来た時に頼れるおばあちゃんでいるために健康でいなくてはと今から楽しみです🎶

 

 

 

 

 

日々成長していく双子

新生児科の先生のお話では、2か月半程の早産だったので、最短でも当初の予定日までは入院になるとのことでした。

私は産後の経過が順調だったので1週間で退院となりましたが、毎日搾乳した冷凍母乳をNICUに届けるようにと言われました。

産後すぐだったので実母や夫にかなり助けられました。私1人ではとても無理だったと思います。

 

その頃、出産前後は神奈川の主人の実家に預かってもらっていた長男が戻ってきました。久々に会えたまだ2歳にも満たなかった長男の成長が嬉しく、頼もしく思いました。

 

未熟児養育医療制度と東京都の医療費助成が利用出来たので子供達の入院費用はほぼかからず、かかる費用は紙おむつやイチヂク浣腸(まだ排便が上手くできなかったので浣腸を使わないと自力での排便は難しい状態でした)くらいでした。

それなのに24時間体制の手厚い医療を受けることができ、本当にありがたく思いました。おむつは3Sサイズで普通のドラッグストアやスーパーにはなかったので病院の売店でいつも買って届けていました。双子なのであまりに消費が早すぎてビックリでした😓💦

 

双子は最初は4mlの母乳を鼻からの管で30分や1時間かけて注入されていましたが、少しずつ量が増えていきました。1~2週間程で20mlくらいまで増えていました。

 

2人とも黄疸があったので光線治療を受けたり、呼吸を止めてしまう無呼吸発作を度々起こしていました。先生からは弟の呼吸状態があまり良くなく、退院後も在宅酸素療法を受けることになるかもしれないとのことでした。

また、心臓の動脈管が閉鎖する前に生まれてしまったため、このまま閉鎖しないと薬を投与するか手術になる可能性もあるとのお話でしたが無事に閉鎖しました。

 

↓GCUに移ったばかりの双子。

すやすやとよくねんねする子達でした🐏

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双子が産まれて1か月程経ったある日、カンガルーケアをすることで赤ちゃんの精神状態が安定して発達を促し、母子の絆の形成にもなるとのことでまだ管につながったままの双子を何度か胸に抱きました。とても穏やかな気持ちになったのを覚えています。

 

↓面会する度に体重やミルクの量を記録していました。わずかでも増えていると安心しました😮‍💨

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そして、2人は生後1か月半程でNICUからGCUに移りました。

体重も2000gを超えた時にようやくここまできたと感じてとても安心しました。

 

コロナ渦で面会制限もあったため、テレビ電話でNICUに繋いでもらい我が子の顔を見ていました。いつまでも見ていたい程幸せな時間でしたが、手元に我が子がいないもどかしさや寂しさも感じていました。

 

普段は医療を提供する側でしたが、今回このように我が子が医療の恩恵を受ける側になり、日本の医療水準の高さや医療スタッフの皆様の温かさを改めて実感しました。

そして、小さな小さな体で頑張ってくれた我が子達をとても誇らしく思いました。

 

ちょうど退院のお話があったその頃、北京オリンピック宇野昌磨選手の活躍を目にしていましたが、宇野選手もわずか900gで生まれてNICUに入院されていたことを知りました。小さく生まれても大きく世界で羽ばたく一流アスリートとして活躍されている姿は大きな希望になりました✨

 

 

 

 

 

双子の出産その後

双子が産まれた夜、個室に移りました。

当直の先生が病室にいらっしゃり、産まれてから72時間は脳内出血など命に関わる事があるので私達も最善を尽くしますと言って下さいました。

 

私は搾乳してNICUに届ける事しか出来ることがなかったので、きっちり3時間おきに搾乳していました。軌道に乗るまで助産師さんが夜中もサポートして下さり、本当に心強かったです。

 

帝王切開後の傷口が痛くて寝返りも打てず、しばらくは寝たきり状態でした。

出産時の出血量が多く、鉄剤を処方されましたが貧血気味でふらふらしていました。

 

ぺたんこになったお腹を見て喪失感に襲われると同時に、他の病室から聞こえてくる赤ちゃんの泣き声を聞いて羨ましく思ったりしました。

なぜ私の元には赤ちゃんがいないのだろう、私は本当に出産したのだろうかとなかなか実感が湧きませんでした。

 

出産翌日にNICUに車椅子を看護師さんに押して頂いて行きました。初めて触れる我が子の背中は小さくて、温かくて、愛おしい気持ちでいっぱいになりました。

 

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不思議と小さく産んでしまって申し訳ないという気持ちにはならず、「ママが大きく育ててあげるから絶対大丈夫❗️」という根拠のない自信がありました😅笑

母乳を含ませたティッシュを枕元に置いてあげると安心するとのことで毎回置いてあげました。間接的な母子のスキンシップなのでしょうね。

 

でも、入院中に見たNHKの夕方のニュース番組で、26週で産まれた男の子とお母さんが出ていました。その子は出産時の事故で脳性麻痺になり、成人になった今も車椅子生活をされているとのこと。

 

 

数年前にお母様が乳癌を患った際に、その息子さんがあまり言葉は話せないながらも優しく気遣ってくれて「今まで私が息子を支えていると思っていたけれど、私の方が支えられていると気づきました。」というお話をされていました。

 

それを見たら、今まで張り詰めていたものが弾けたように泣き崩れてしまい涙が止まりませんでした。それまでのお母様のご苦労や葛藤はいかばかりかと思いを馳せ、そして息子さんのお母様への愛に触れ、なんて尊い関係性なのだろうと思いました。

 

その番組を見て以来、私も我が子にしっかりと寄り添いながら守ってあげなくてはという気持ちを新たにしたのでした。

 

 

 

 

双子の妊娠~出産まで③

前回の記事の続きです。

 

15時頃、破水をしたことが分かり、「今日中に産むことになるんでしょうか?」と看護師さんに聞いたところ、「はい、そうなります。今からオペ室で準備しますのでお待ちください」とのこと。

 

待っている間がとても長く感じられました。不安で仕方がなく、生きている心地がせずに主人や母に電話をして励ましてもらい何とか自分を奮い立たせていました。

コロナで面会も出来ず、ずっと一人で過ごしてきましたがこの時ばかりは心細い気持ちでいっぱいでした。

 

ベッドでオペ室に運ばれる途中、不妊治療でお世話になった先生にお会いし、「頑張って」と手を握り締めて下さり、とても励まされたのでした。

 

オペ室につくと、麻酔科医の先生に手術の同意書を書くように言われ、震える手で何とか書きました。麻酔を入れていただくと、途端に下半身の感覚がなくなってきました。長男の出産時の無痛分娩の時の事を思い出していました。

 

お腹を切られる感覚は何となく分かりました。麻酔は効いていたけれど、部分麻酔なので意識ははっきりとあるので記憶は鮮明に残っています。

手術が始まって1時間程で無事に出産が終わりました。

 

双子の女の子と男の子が2人とも約1400g程でこの世に生まれました。

生まれた瞬間、姉は大きめな声を上げて泣いていましたが、弟は泣き声が小さく心配しました。

 

先生が「女の子ですよ~」と姉と手を握らせて下さいました。小さな小さな手でしたがほんのりと温かくふわふわとした感触でした。

弟は呼吸状態が良くなかったため、急遽酸素の管につながれてNICUへと運ばれて行きました。

 

私はあまりに急なことであっけに取られ、まだ事実を受け入れられずに呆然としていました。麻酔の点滴をされたままベッドに乗せられて病室に戻りました。

 

こうして2021年10月27日、双子の母になったのでした。

 

 

🍀おまけ🍀

病院が用意して下さったお祝い膳🥂

NICUにいる子供達が心配でお祝い気分ではなかったけど、病院のスタッフの皆様の温かい優しさが身に染みました💓

国立病院でしたが、愛育病院よりご飯は美味しかった😅愛育はお祝い膳もなかったです。出産費用は全然違うのに〜💸

 

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双子の妊娠~出産まで②

都内は急に冬本番のような寒さになってきましたね~💦

 

今日は朝から家族5人全員でインフルエンザの予防接種に行ってきました。

子供達は2回目。今回は長男が一番最後の順番だったのですが、他の人の注射を見ていたら怖くなってしまったらしく、前回は全然平気だったのにギャン泣き😱😱😱

順番をミスったわ~と後悔したのでした😥でもその後ケンタッキーにみんなで行き、ジュースを飲ませたらすぐにご機嫌に✌まだまだ単純な3歳児でした😏

 

さて、双子の妊娠・出産の思い出の続きを書いてみます。

私も妊娠中不安でいろんな方のブログやYouTubeなどを見ていたので、おこがましいかもしれないけれどどなたかの参考になればいいなと。重たい内容になるかと思いますので苦手な方はお気を付けください。

 

2021年5月に双子妊娠が判明し、9月21日に産休に入りました。

私が受診していた病院は国立の病院だったのですが、双子の場合は帝王切開と最初から決まっていました。経過が順調な場合には自然分娩を選択出来る病院もあるようですね。(東大病院もそうだと聞きました)

 

それまでは妊婦健診は全て順調で、特に異常を指摘されたことはありませんでした。

ところが、10月に入り妊娠後期を迎えようとしていた頃、突然子宮頚管が短くなってきているのでなるべく安静にして下さいと言われました。

 

特にお腹の張りや出血などはなく、元気にお散歩したり長男を抱っこしたり普通に過ごしていたのであまりに突然の事で驚きました。

 

その後はなるべく横になって過ごすようにし、トイレ・お風呂・食事以外は極力ベッドかソファーの上で過ごしていました。上の子の保育園の送り迎えや家事があるので、2駅隣に住む実母が手伝いに来てくれていました。

 

そして、10月16日に妊婦健診に行ったところ、かなり子宮頚管が短くなっているとのことで急遽切迫早産で入院になりました。あんなに安静にして無理しないようにと心がけていたのに何故?と納得がいきませんでした。

 

その頃は妊娠8か月でしたが、もう長男の時の臨月よりもお腹が大きく、下を見ても地面が見えないような状態でした。

 

実は私は長男を授かる前の2年半程と双子を授かる前の3か月程、不妊治療でこちらの病院にお世話になっていたのです。その時に主治医だった先生が病室に様子を見に来て下さり、「少しでも長く赤ちゃんがお腹にいられるように頑張ってね、応援しているよ」と声をかけて下さいました。お忙しい中での温かいお心遣いが本当にうれしくて涙が出そうでした。

 

入院中はひたすら読書をしたり、スマホを見たりしながらベッドの上での生活です。

普段仕事をしていた時は家でゴロゴロしていられたらどんなに幸せかな~なんて思っていましたが、実際に何もせずに寝ていろと言われると何をしていいのやら時間を持て余すばかりでした。何もしないって結構難しいんですよね😓

 

それまで唯一の楽しみだった食事もお腹が苦しくて全く食べたいと思わなくなってきていました。ずっと胃のあたりが締め付けられる感覚でした。それでも赤ちゃんに栄養を摂らせたくて何とか半分以上は無理やり食べていました。

 

そして在胎週数をとにかく稼ぎたい一心で「はあ、今日も無事に過ぎた」と心の中で思い、祈るような気持ちでいました。

入院中は子宮収縮を抑える点滴にずっとつながれ、朝晩NSTがありました。お風呂も数日に1回のみでした。

 

入院中のある日、へその緒が赤ちゃんよりも下に来ている「臍帯脱出」という状態であると告げられました。その状態で出産になると、赤ちゃんに酸素がいかなくなり大変危険な状態になるので一刻も早く帝王切開になるとのことでした。

 

とにかく安静に右側を下にして横になるようにと言われました。その指示を守ってずっと寝返りもほぼ打たずに右を向いて寝ていました。不安で夜はあまり眠れず、冷や汗をかいてしまったりしていました。

 

数日後の診察では、臍帯脱出の状態は脱したとのこと。本当に胸をなでおろすようにほっとしたのを覚えています。

ただ、子宮の下の方にいる子が逆子で、位置がかなり下がってきており、いつ出産になってもおかしくないので肺の成長を促すステロイドの注射を打ち、帝王切開の同意書を書きました。

 

そして、29週6日を迎えた2021年10月27日の夕方、急遽破水してしまいました。

ベッドからトイレに行こうと立ち上がったところ、水が漏れているような感覚。

尿漏れかと思ったのですがどうも気持ち悪かったのでナースコールを押して看護師さんと先生が来て下さり、急遽ベッドの上でエコーと診察。

平和で穏やかだった病室が急遽バタバタとし始めました。同室の妊婦さん達を不安にさせてしまったかと思うと申し訳ない気持ちでした💦

 

次の記事に続きます。

 

 

🍀おまけ🍀

病室からの景色です。

夕日を眺めながらまだ1歳だった長男のことが気がかりで切ない気持ちになっていました🥲

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